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2007/07/20

We are still individuals.

私、という自分がいて。
あなた、という他人がいる。

あなたは私ではないし、私はあなたではない。
自分が他人になることはないし、他人も自分にはなり得ない。

あなたから何を言われようと、私が"私"であるように。
私が何を言おうと、あなたは"あなた"その人であるわけで。

全く別の存在である、私とあなた。
お互いに理解しあえなくて、あたりまえ。

それでも、それなりに、理解しあおうとしてるのが人間で。
理解したり、できなかったり、理解が誤解だったり。
そんなこんなで、なんとか回ってるのが人の世で。

" 君は君 我は我なり されど仲良き " (武者小路実篤)

まあ、そんな感じで生きていけたら、いいんじゃないかな。


あるいは、こんな感じでもいいかな。

"Gestalt Prayer"

 I do my thing. You do your thing.
 I am not in this world to live up to your expectations.
 And you are not in this world to live up to mine.

 You are you and I am I.
 If by chance we find each other, it's wonderful.
 If not, it can't be helped.
                  by Friedrich Perls

"it's wonderful" と "it can't be helped"
どちらに重きを置くかは、あなた次第。

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 Music 「猫のリンナ」 大槻ケンヂ

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コメント

それでは、もう少し会話をしましょう(笑)

投稿: 望月 | 2007/08/04 12:21

望月 さま

そうとも、限らないですよ(笑

投稿: りえぞー | 2007/08/03 20:21

会話が無くても少しは理解し始めました。

いないときは潜っている(笑)

投稿: 望月 | 2007/08/02 19:33

望月 さま

そうですねえ。
この記事、最初は題名を"I think tehrefore."
にするつもりだったのですが、最後に気が変わったんで。

我思う、故に我なり。
されど、世に我は我のみならず。

要約したら、そんなものかなと思います。

投稿: りえぞー | 2007/07/29 21:14

結句。我思う、故に我あり……。と言うことですかね。

投稿: 望月 | 2007/07/28 08:56

望月 さま

何かあったわけではないんですよ~。
ただ、言葉のキャッチボールって大変だなと、常日頃から思ってるもので。
直球だったり、変化球だったり、暴投あり、とんでもない重い球もあり。
そんなの全部含めて、キャッチして投げ返すって、結構覚悟が要るなと。

でも、それから逃げてたら、理解し合えないこともあるんですよね~。

投稿: りえぞー | 2007/07/27 00:12

 キャッチボールとバレーボールと言うのは面白い表現だと思います。

 ニュアンス的にも解るような気がします。

 言葉のキャッチボールが上手くいけば、お互いが理解し合えるのではなくて、お互いを理解し合う為には、言葉のキャッチボールをちゃんとしなくてはいけないと言うのではどうでしょうか。

 相手を理解しようとする気持ちの度合いが、言葉の往復数になり、言葉の往復数が、やがて、双方の理解度を深めるのだろうと思いますが。


 何かあったんですか?

投稿: 望月 | 2007/07/26 10:38

望月 さま

ちょっと話がずれてしまうんですが。
日常生活で、会話のキャッチボールって、なかなか無いと思うんです。
言葉のバレーボールとか、下手すると、言葉の打ちっ放しとか。
そんなことが多くて。(ニュアンス伝わるでしょうか…)

相手の言葉と自分の言葉、きちんとキャッチボールできたら、
お互いの理解度がずっと高くなるんじゃないかな、と思いつつ…。

投稿: りえぞー | 2007/07/25 22:07

 会話で理解をしあうと言うことは、とても難しいことだと思います。

 同時に、難しいことだからこそ、会話のキャッチボールと言う響きには惹かれるものがありますね。

投稿: 望月 | 2007/07/25 15:50

望月 さま

確かにそうですね。
理解できてないのに、その場を取り繕うために理解したふりをするっていうのは、
だいたいおいて、いい結果にならないですし。

理解しあえてないこと前提で、理解しあえるまで会話のキャッチボールが出来たら、
いいんじゃないかなあと思うこと、時々あります。
なかなかできないですけど。

投稿: りえぞー | 2007/07/24 21:01

 理解しなくても良いと思うときには、理解の出来ない人だと思っていればよいと思いますが、理解したいと思うときには、正直に理解できないと言うほうが、理解し合える可能性を見いだせるものだと思います。

 理解できても出来なくても、表面上は、某かの関わりに甘んじていると言うのが常套かも知れませんが、それでは少し淋しい気もします……。

投稿: 望月 | 2007/07/24 08:18

望月 さま

ほんとに、そうですね。
理解しあえると信じることで、むしろ行き違いが生じてしまうこともありますし。
とはいっても正直に「あなたのことは理解できません」
とは言えないですけどね(笑
人間関係の綾って、難しいものです。

投稿: りえぞー | 2007/07/22 22:00

 お互いが理解し合うことより、お互いに理解しあえない事を知っていることのほうが、ずっと、お互いを良く知っているようなきがします。

投稿: 望月 | 2007/07/20 20:49

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